2011年6月13日月曜日

気仙沼で考えたこと

自衛隊OB11名(平均年齢66歳、最高齢72歳)で6月6日から11日の間東日本大震災災害ボランティアに参加しました。

OB組織としては300名規模のボランティアを10名程度のグループに分けて宮城県の各地に派遣しています。

宿営地は市内から15分ほどの山間地の小学校、そこのグランドにテントを設営し、レトルト食品などでキャンプ生活をしつつ、日中はボランティアセンターの指示による個人宅の瓦礫撤去に従事しました。

正味活動期間は4日でしたが、平均年齢66歳のロートルとは言え11名もいると結構仕事はできるもので、約2トントラック15台分ぐらいは撤去できました。

活動初日の7日9時に派遣先に到着しましたが、途中東浜街道から大川の橋を渡った時、それは息をのむ光景が目に入りました。
川の中には瓦礫(家、車など)が無数に散乱し、川の対岸の南気仙沼駅周辺の光景はまるで映画の中のような世界が広がっていました。
google mapの航空写真で市立南気仙沼小学校及び南気仙沼駅周辺の状況をご覧ください。

東京大空襲や広島市被爆後の写真とまったく同じような見るも無惨な一面の瓦礫の散らばる平地が広がっていました。

そこで見た惨状は、戦争による破壊とまったく同様と言える状況でした。

7~8割方の住宅が流され、僅かに残った住宅は土台からずれるか傾き、庭や住居内に瓦礫が1メートルも積み重なっていました。

「現地の悲惨さ」は被災地から遠く離れたリビングから写真やテレビを通して見ていては実感できないことがよく分かりました。

日日の作業は個人宅の庭から瓦礫を撤去することです。

庭には50センチもの泥が堆積し、そこには釘の出た木材や、海水を含んだ布団、本、食器、ぬいぐるみ、写真などありとあらゆるものが埋まり、積み重なっています。

そして漁港特有のサンマ、マグロ、サメなども腐敗し散乱し、蛆がわき、強烈な異臭を放っています。

また家の一方の壁には車が逆立ち状態で倒れかかっており、とても人力では動かせない状態でした。

作業が終わった帰りがけには付近で数人の警察官を見ました。
多分遺体の検視をしていたのでしょう。

宮城県では遺体の発見されない日はないそうです。

片づけきれない瓦礫の中にまだまだ不明者がいると思われます。

9日の作業中3人連れが現場を通りかかり、我々に質問してきました。

「9ヶ月になる孫が行方不明なので探している。」とのことでした。

我々の作業現場で遺品などがないかと来られたのでしょう。

もうあれから3ヶ月も経ったと言うのに。

その間のこのご家族の気持ちを思うと掛けてあげる言葉もありません。

目に見える光景も悲惨ですが、被災され家族を亡くされた人々の心の中も悲惨そのものと推察されます。

3ヶ月も経つと慣れからかどの人たちも平静さと快活さが感じられますが、その底に在る本当の気持ちは部外者である我々には窺い知れないものがあるようです。

最後に気仙沼で考えた2つの点について記します。

第1に家族を失った人たちの心を救えないのか?

12日付読売新聞に「死者のため 被災者のため 祈り続ける」という記事がありました。

仏教の宗教者たちの苦悩と対応がまとめられています。

「祈り」「支援活動」などさまざまな活動をされており、尊敬に値する内容だと思いますが、前記3人連れの人たちにとっては何の役にも立たないように思います。

お金や労力なら我々在家が努力すればなんとかなりますが、家族を失った人たちにとって本当に必要なことは「心の救済」なのではないでしょうか。

わずか9ヶ月でこの世を去った孫が成仏できたのかどうか。
あの世で仏様に快く迎え入れられたのかどうか。
残された家族は安心して暮らすことが最も供養になると言ってあげられないのか。

宗教者のみがこのような心の闇を抱える人たちに寄り添い、苦悩を軽くしてあげられるのではないでしょうか。

ボランティアセンターでカトリックのシスターを見ました。
お坊さんは見ていません。

大乗仏教の流れから今の仏教界は「葬式仏教」となっています。

被災地では犠牲者の弔いも必要ですが、生存者の「心の救済」が今何よりも必要としているのではないでしょうか。

この人々を救えるのは「葬式仏教」ではない、苦悩する一人一人に寄り添える真の宗教者だと思います。

第2にラジオ放送から見えた現実

自宅から気仙沼まで581kmあります。

1都6県を通過しますが、その都度FM局を切り替えて聞いていました。

音楽番組やトーク番組などを聴いていましたが、被災県になると大震災関連情報ばかりを放送していました。

被災県では農業や漁業の現状や復興状況、行政の情報や住民からの意見などが主体となっています。

被災県の住民の情報ニーズは当然「大震災」にあるのです。

被災地から遠い県では、「大震災」は過去となり「日常」が戻っています。

FM放送を聞いていてこの落差に驚きました。

多分私がノー天気なのでしょうが、同じ日本国内でも「大震災」や「原発」の「問題の深刻さ」がまったく違ってしまっています。

この時期になると「反核平和」「ヒロシマ」そして「東京大空襲」などを語りつごうなどと言う人たちが出てきます。

しかし今語らなければならないのは、現実の惨状ではないでしょうか。

それは1000年に一度の国難とも言える大災害なのです。

この現実の惨状を語らず、そして共感することもなく自己中心的なテーマだけについて人々に語ったとしても、果たして共感が得られるのでしょうか。

悲惨な歴史は教訓としては大切ですが、現実の極めて多くの人々の心の痛みに寄り添う方が人としてより大切だと思います。

参考
東日本大震災・被災地防災ボランティア活動状況